« あこがれ | メイン | 現場でのウルウル体験 »

本物であること 

%E6%9C%AC%E7%89%A9%E3%81%A8%E5%81%BD%E7%89%A9.jpg

  ≪ 本物と偽物 ≫


玄関のちょっとした空間に、季節のあしらいをする事があります。

年末年始の頃は「干支」に絡むもの以外「これ!」と言う決まり物が無いので、そんな時には良く花を活けます。

ただ、日中ほとんど暗い状態の場所の為に「生花」は可哀そうなのです。

そこで、いくつかのドライフラワー等、所謂「使いまわしと保存の効く偽の花」を用意しています。

ただ、生花とは勝負になりません。偽物は、仕事で言うと「やっつけ仕事」です。
本物は、どんなに小さくても当然ながらエネルギーがあります。

何とか、日陰でも長持ちしてくれそうな物を探し、この時は「葉ボタン」を購入。
赤い実は偽物です(笑)

本物と偽物が一つの花器に鎮座しています。

私の恩師は、常に「本物であれ」と言い続けて下さいました。
ですから、お食事にご一緒させて頂く時も、一流のお店ばかりでした。

その、恩師は診療所の開設記念日に「金貨」を下さいました。
24Kの本物です。正社員として勤務していた年数分、今も引き出の中に大事に納めてあります。

時々、小さな金貨を眺めながら、厳しくも、事の本質を語り続けて下さった先生の愛情と強い信念を思い出します。

仕事のミスに対しても非常に厳しく、また、態度そのものに「適当」な感があった場合には夜遅くまで残って直立不動のまま、注意を受け続けました。

八丁堀から八重洲通りを同僚と泣きながら東京駅へ向かった事が何度もあります。
何度も泣きながら帰る自分たちが悔しくて、また泣けてきたものです。

『将来嫁ぎ先の両親から「箸の上げ下ろし」まで注意される事があったとしたら、それは貴女が悪いと思って、正しなさい。』とも言われました。

人生の先輩のおっしゃる事には素直に耳を傾けて、謙虚な態度を取りなさい。と先生は仰りたかったのだと思います。

先生は、患者様にも厳しい方でした。
患者様がご自身の病気や状況を真剣に受け止めず、いい加減に済まそうとなさっている様子が見えた時には、まるで鬼の様な雰囲気でした。

その代り、ご自分の範囲を超える病状の方や専門の検査が必要な方には、広い人脈と信頼から得られた紹介先を沢山お持ちになっていて、毎日何通もの「その方に一番相応しい医療機関への紹介状」をお書きになっていました。

患者と医師が本物の関係を作るには、どちらも本気でなければできないでしょう。

こうして、今年になっていつにも増して私の口から、K先生を振り変える言葉や文章が増えたのですが、このブログをアップするつもりで、準備していたその夜に、先生のご逝去を知りました。

昨年の11月に天国へ旅立たれたそうです。

一流のお店でのお食事をいつか、私が当時の同僚たちと共にご招待したいと思っていたのですが、
叶わぬ夢で終わってしましました。

土曜夜遅く、当時の同僚から明後日お寺で供養すると聴いた私は、即座に一緒に参加させて欲しいとお願いしました。

20年以上逢っていない同僚達でしたが、そこはK先生の基で、「同じ釜の飯を食べた仲」。
すぐに私の名前でも、ご供養の手配をしてくれました。
先生は、生前より、「亡くなった時には献体する」と公言されていました。
ですから、公なご葬儀はまだ先の事です。

大功績を納めた先生には、昨日のご供養はささやかだったかも知れませんが、本音を語り合える同僚達と、何時間も、思い切り先生を語り、感謝の気持ちを伝えあえたとても良い時間だったと自我自賛しています。


各自が鮮明に当時の先生の言葉を覚えており、タイムスリップした様でした。

お子様がいらっしゃらない先生の後年は、ケア付きマンションでとても穏やかに過ごされていたと聴き、安心しました。

最後に再開した二人の同僚が、先生にお食事をご馳走になった時には、「師・従」の関係を超え、「もうお友達ね」と言って下さったとか。


今も、先生の教えは私の根源にあって、当時先生に言われていたセリフを良く社員に伝えています。

その事を、同僚達に伝えたら「古谷さん、社員さん達に嫌われてませんか?」と笑われました。

ただ、嫌われる事があったとしても、これから会社が向かう先で関わる多くの皆さんとは、いつも本心で語りあいたいと思っています。

私自身が「本気」=「本物の気持ち」でいるか否かで、すべての事は変わるでしょう。

『信頼を得られる事業を継続していく基本を忘れない様に、引き出しの金貨を「見える化」することに決めたのよ』と話したら、同僚が「私もそうしよう」と言ってくれました。

喪服を身につけながらも、帰りには何か清々しい気持ちになって、人一倍優しい気持ちで気付くと笑顔になっていました。

私が、先生を思い出して、似顔絵を描く際にも、大きな口を開けた笑顔しか思い描く事はできません。

医療に対する、社会に対する強い信念を、どこまで伝えられるか、私の課題ですが、先生が導いて下さると信じて進んで参ります。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://hiroyakkyoku.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/102

About

2010年01月12日 09:00に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「あこがれ」です。

次の投稿は「現場でのウルウル体験」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35