≪ 働く理由 ≫
なぜ、人は働くのか?
「古谷さんの働くエネルギーは?」等という質問も良く受けます。
その答えとして、良く使う表現の一番目は「自身の存在価値を認めたい」でしょうか。
また、社員には常々「仕事」と「作業」の違いについても語っています。
作業を黙々と行い、それが真の仕事につながる事もありますが、本来の仕事は、プロとしてその業を成し遂げて料金を頂くものと考えていますので、相手の利益と同等またはそれ以上の事を(物を)提供しなければ『仕事』では無いと位置付けています。
お正月に読んだ(正確には、読み直した)本の中に、私と同じ意見をされている文章に出会い、「同じ価値観を持つ人が、いたんだ・・・・」と安心した様な、又、「誰でも思う当たり前の事なんだ」と思いつつ、その言葉が一冊の本の中にあると、何だか「私も捨てたもんじゃ無いわね」と自我自賛してみたり。
『99の名言に学ぶ』というサブタイトルの中、与謝野晶子氏の言葉をご紹介します。
「厭々する労働はかえって人を老衰に導くが、自己の生命の表現として自主的にする労働は、その生命を健康にする」
また、ドイツの哲学者のニーチェはこうも言っています。
「職業は人生の背骨である」
この様に、仕事を命や人体に置き換える表現が古くから言い伝えられているという事は、何を意味するのでしょうか?
私は、仕事はその人の品性が現れる物だと思っています。
品性は作り上げていくものです。作るには考えないとなりません。
又、持って生まれた資質があったとしても、環境により向上できないままで過ごす人も多く見られます。
そして、その環境を自分で作り出す努力をするのも、自分自身です。
「病は気から」のことわざの通り、嫌な環境で過ごすと、どんどん健康を害します。
気分も滅入り、本当に頭が痛くなったり、自律神経のバランスを崩し、胃腸障害や不眠になったりもします。
簡単に「プラス思考」と言われますが、自分を律し、前向きに物事を考えるには、そう思いこむしか無い様です。
脳はもともと素直な物で、思った通りに上書きされるので、何回も何回も思いこむというのが成功へのプロセスと最近富に言われているところです。
新年にあたり、心がけた事の一つに、「心穏やかに過ごす」という目標があります。
責任の重い仕事ですので、なかなかいつも穏やかにはいられないのですが、せめて一日の終わりには深呼吸をして、穏やかに微笑んで、休める環境を作って行こうと思っています。