8月15日(月曜日)
今日は終戦記念日です。
もはやわたくしの年代では、戦争について語る機会も聞く機会も極めて少ないのが現実です。
昨日、両親のお墓参りに出向き、少しだけ墓石に向かって挨拶を致しましたが、そう言えば父が戦争の事を語ったのもそう多くはありませんでした。
思い出したくない、話したくなかったからなのでしょうか?
それでも、夏の暑い最中に敵の飛行機から打たれる弾を避けるように自分より背の高いトウモロコシ畑を逃げ回った話をしてくれた事がありました。
また上官から屈辱的な態度をとられ、血気溢れる父は『なにクソ!!』と反発をしては顔を殴られたという話を悔しそうに話をしてくれた事もありました。
母からは、夜になると空襲で防空壕に逃げた事、焼夷弾が次々振ってきた事を聞きました。
子供の頃の事でしたので、『焼夷弾』を『ショウユダン」と聞いていて「醤油が降ってきたんだ」と勝手に思っていました。
とても恐ろしい話のはずなのに、なぜか醤油・・・のイメージが滑稽な話にも思えたものです。
両親はそれぞれに無事に生き残ったからこそ出会って、結婚し、わたくし達6人の兄弟姉妹を生み育ててくれました。
お盆、お彼岸と機会を設けて兄弟でお墓に出向き、草をむしり、墓石を磨き、花と線香とお茶を手向け、生まれた順番に手を合わせます。
時間にするとそう長くはありません。
皆の都合がつくと大人数なので、その一連の工程が捗るのです。何となく役割も決まっていて、阿吽の呼吸で進みます。
それが終わると、少し早めのお昼ごはんを食べに行き、そこで近況を話し合ったり、夏は高校野球の話、冬はサッカーやラグビーの話で盛り上がります。
何ていう事の無い時間ですが、これが我が家のルーティーンになっており、この行事を済ませるとホッとします。
その前日にはサントリーホールでのpianoの発表会があり、楽しいながらも緊張の一日を過ごしました。音楽仲間と一緒に励まし合って迎えた本番です。
演奏が途中で止まってしまう!なんていう大事故が無かったので、ヤレヤレでした♪
そのプログラムにあった開催者の挨拶文の中に「音楽は必ずしも生活に必要なものでは無いかもしれないが、音楽を通じて疲れた心を癒したり、明日に向かう活力にしたりと人の心を豊かにできる一面を持ち合わせています」と書かれていました。
戦後の混乱時期にも、貧困でも気持ちだけは豊かでいようと賑やかな流行歌を口ずさみ自分自身を励ましていたのでしょう。
亡くなった母も台所仕事をしながら、良く鼻歌を歌っていました。
手仕事をする傍らにはいつもラジオがかかっていました。
今のわたくしは、仕事に重責を持つ身であっても、音楽の師匠や仲間といる時にはその事だけを考えて楽しむ事が出来ます。
その事がどれだけ尊くて幸せな事なのかを噛みしめる事ができた週末でした。
暑い中、拙い演奏を聴きに駆けつけて下さった皆様に少なからず感動の欠片をお伝え出来たのであれば、尚の事幸せです。