10月4日(火曜日)
今日は膝の治療の定期受診日でした。
予約時間の30分前に受付をしても、結局は待ち時間は1時間をゆうに超えます💦
大きな病院には患者さんが一杯ですので、整形外科の近くのベンチに腰掛けられるとは限りません。
今日もとても混んでいたので、少し外れの空席に掛けて、音楽を聴きながら待つつもりでいましたが、お隣にいらした高齢の女性から病気の種類や掛かりつけの先生の事、お隣に住む方の行為で困っている事などなど結局30分以上お話を伺う事になりました。
わたくしは普段良く話をします。(長いとも言われます)
しかし、外で話しかけられるとほとんど聞き役に徹します。
今日も、まるで職業で聴いていいるような気分になりましたが、初めて出会った方がお好きに話をしている事だけで余計な感想や、アドバイスなど出来るはずもなく、ただただ傾聴に徹していました。
「私は5つも6つも病気があるのよ」
「そうですか」⇨深くうなづきながら・・・・
「それでね、・・・・・だからね」
「大変ですね」⇨しみじみと・・・・
「もう待つの嫌になってきた・・・・」
「重症な方がいらっしゃるのかも知れませんね・・・・」⇨診察室を目で追いながら・・・・
「でもね、・・・・・・・だから・・・・」
「そうですか、それは困りましたね」⇨困った顔をしながら・・・・
「痛み止めは効かないのよ」
「痛いのはお辛いですね」⇨自分が痛かった時を思い出しながら・・・・
病気の事以外に、近所の方が認知症になって夜中に大きな音がして眠れない。
警察を呼んでも、何の役にも立たないなど深刻なお話もありました。
ここで、包括支援センターのお話などをしたら、認知症と思われている方への影響がどうなるのか解りませんので、言うか言わぬか迷いましたが、結局話の途中で順番が来ても無責任になりますのでお話はいたしませんでした。
でも、このご婦人の様に高齢者が高齢者によって苦しめられていると思っている方々は多く、これこそがまさに地域の課題なのだと思ってお話を伺っていました。
エレベーターの無い5階にやっとエレベーターが付いたと思ったら、掃除当番で喧嘩腰になるという現実。
皆さん、ご自身の事だけで精一杯なのです。
心身共に余裕が無いと人様に優しくできません。
でも、国や地域は「自分たちの周囲の力で何とか生活してね」という方針を掲げています。
そして、お金は出せないので「ボランティアさん募集!!!!」と言っています。
ボランティアの育成やそもそもの理念を語らずして、人の手間を無償で提供してくれる資源を探し続けています。
今は何とか自分の事ができますが、この先の暮らし方を良く考えておかないと、本当に切ない人生の幕〆になりそうです。
そうそう、膝の注射の際に右手の不具合についてご相談したところ、すぐに注射の手配をして下さいました。
注射は当然痛かったのですが、数分するとカックンカックンしていた指がスムーズに動きました💛
「pianoも大丈夫ですか?」と伺ったところ、先生が両手で弾く動作をしながら「いいですよ」と応えて下さいましたので、一安心です。
ご機嫌な気分で昼から出勤し、PC操作も軽々と何だか調子が良かったのですが・・・・・・。
夕方になって、また動かなくなってきました(・・;)
明日になってウソのように軽々と動いてくれることを願います。