11月5日(土曜日)
会社のこれからを考える際に、何と言っても必要不可欠な事は『共に歩みを進めていかれる人在』の確保だと思います。
最近では、人材を、人財と表記する時代になりました。
人は材料ではなく、会社の、社会の財宝という位置付けられて違和感を覚えなくなっています
。
今日は、7名の応募者の方々と貴重な面談をさせて頂きました。
声の調子は朝になっても変化がなく、カスカスのままでしたが、ご参加者の皆様がしっかりとわたくしの声を拾おうとして下さるのがとても良く伝わって参り、大変有難く、嬉しかったです。
大きな声を上げれば話が伝わるものではなく、カスカス、ヒソヒソであっても伝えられるものだと実感いたしました。
昨日のわたくしのブログを見て下さった何名かの方々から、お気遣いの言葉を掛けて頂きました。
面談の際に、この様な言葉を伝えられるという事も、今後の仕事上でとても大切な事だと思います。
「面談の場では上がっていて、思っていたけど言えませんでした。」という方は、多分実際の場面でも言えないでしょう。
その点、今日お目にかかった方々は、社会人としての経験が豊富でしたので、そのあたりのスキルは身についていて、練れていらっしゃったのでしょう。
わたくしは、常々何を感じたのか?何を伝えたいのか?頭の中に浮かんだ事を『見える化』して欲しいと言っています。
言語は、人間だけが持ち得るコミニュケーションのツールです。
その最たるツールを使わないのはとても勿体無いなァと思うのです。
しかし、普段雄弁(おしゃべり)なわたくしから声と言う武器を取り上げられたこの数日には新たな発見がありました。
それは、最小の会話で、相手から沢山の情報を得る為にはどうしたら良いか?を考える様になった事。
思ったら直ぐに口に出てしまうので、相手の話すチャンスを奪っていたのかも知れないという事です。
それから、話さない事は、楽チンだという事も実感しました。
言葉には責任が発生します。
でも、語らなければそれはありません。
声が復活した後にこの作戦を取るか否かは不明ですが、公的な会議でも二年間一度も発言をしない方々がおられるのを本当に、本当に不思議に感じていたのですが、今は、何となく分からなくもありません。
公的会議は言った事全てが速記者により、議事録に残ります。
言葉に尾ひれがつくこともあります。
話さない事は、自分を守る為でもあるのです。
わたくしには、誤解を恐れずに発言する勇気はあると思います。
しかし、語らずに済む事、語らないほうが良いこともあるのかも知れないと気づいたのが、今回の学びです。
やはり、神様は必要な事を体験させて下さるのだと、一週間も続いた喉の痛みや、声が出ないという不便さを改めて有難く受け止めることにいたします。