11月9日(木曜日)
午後、高齢者保健福祉、介護保険にかかわる推進会議に出向いて参りました。
次期3か年計画の事業内容を様々な指標を基に議論する場ですが、委員から質問が上がり、その解答を受けると、いかに示されているグラフや表中の数字が確定的でないことが解ります。
膨大な事業計画を前にして、一項目づつ具体的な詰めが出来ない状況で会議を開催しなければならない行政側のご苦労はそれとして、失礼ながらあまり当てにできない数字であればそんなに真剣に読み取る必要がないのではないかしら?と低い考えが浮かんできます。
さて、今日の資料の中に江東区の高齢者が感じる幸せ度数を10点満点中何点かというものがありました。昨年の調査では6.3ポイント。
幸せ度数をどこで感じるか、その指標をどこに見出すのか?少し議論になりました。
『主観的要素を含むので、指標とするのはどうか・・・・」
『幸せを感じる、感じないは、そもそも主観的なもので、定量的には図れないはず』
『何をもって幸せと感じるのかを質問項目にすれば、事業計画としての課題が見えてくるかも知れない』
わたくし自身も、幸せの感じ方は丸々主観的なものだと思っています。
貯金が100万円あれば幸せだと感じる人もいれば、100万円しか無いと悲観する人もいるでしょう。
家族と同居しているから幸せだと思う人もいれば、家族が厄介者だから私はなんて不幸なんだろうと思っている人もいます。
幸せ度数の軸は一律ではありませんが、それを知ることは地域の課題を解決する為に必要な第一歩ではないかと思います。
同時に、地域の高齢者のみならず、満足度の閾値が高い人、低い人では仕事の進め方、人間関係の構築度合いが異なってくると実感しています。
よく言われることですが、小さな幸せを見つけるのが上手な人、何事にも感謝の気持ちを傾けることができる人、そうでない人。
こればかりは、わたくしが幸せなことだと断言しても、その人がそう思わない限りはその人は幸せを感じないままです。
人に言われて『気づいた』人であれば、そこから先は勝手に幸せ探しができるようになると思います。
逆に、気づけない人は、自分があまり幸せではないという認識を一生持ったまま過ごす事になるのでしょう。
青い鳥は自分の近くにいる事。見つけるのも自分次第だという事を、高齢になる前に受け止められる訓練をしていきたいと思います。