2月14日(水曜日)
若い友人が南の国へ旅行に出かけ、楽しそうな写真が送られてきました。
美味しそうなフルーツやお料理の話も・・・・。羨ましいと思うほど楽しそうです。
し・か・し・・・・。
大量の虫には困惑したようです。
道路に這う虫たちが怖くて、ホテルに帰らず、友人の家に泊めてもらった・・・など笑ってしまう様なやり取りが時空を超えてすぐに飛んできます。
本来は、もっと面白がって会話に参加するのですが、わたくしには虫よりももっと怖い事に向き合わないとならなかった為、気持ちが上の空でした。
小さな虫も大量になると、脅威です。気持ち悪いです。一匹でもそうですが、大群は論外です。
ただし、見えないもの、測れない事やものほど怖いものはありません。
先週読んだメルマガの一文に「自分の頭の中の知識はとても小さなもの。だから知らないことだらけでもそれが当然。一つ一つの体験で知ることが増えていく。それでその次にはもうその事で怖がることはなくなる」とありました。
なるほど、自分の体験や知識など本当にちっぽけなもの。
しかし、その小さな自意識が自分の秤となり、人に対してもその秤を使おうとするから『信じられな~~い』となるのだと今更ながら思った次第です。
今更ながら気づくことが出来たとしても、自分の行動を相手に合わせられるかというと、それはそれでなかなか困難なのです。
虫よりも怖いのは、お互いの中にある見えない秤なのかも知れません。
秤のメモリが細かいのが、大雑把なのか?
片手一杯に盛られたお菓子を沢山!と喜ぶ人もいれば、両手に山盛りを100%に思っている人にとっては半分の満足度しかありません。
手加減という秤があります。
塩を一つまみと言う測り方もありますが、この一つまみを一握りと勘違いすると、大変な事になります。
だからこそ、組織では組織の秤を持たないとならないのです。