3月12日(月曜日)
あの大震災があった日から7年。
この週末は、特番として様々な企画の中で被災地の現状をレポートしたり、生存者から辛い体験談をお話なさっている放送が続きました。
あの日の出来事は今でも鮮明に記憶に残っています。
1階に新たに事業所を作り、2階からケアマネージャーのチームが引っ越す事になっていた金曜日でした。
関係者の方から胡蝶蘭のお祝い花も頂戴していました。
午後の大地震の後は、お客様の安否確認や関係者との連絡で右往左往していましたが、何といっても携帯が繋がらない。お客様の電話もきっとアチコチから連絡が入っている様でなかなかつながりません。
訪問先からお客様を残して帰る訳にもいかず、一人暮らしの方は避難所までご一緒した者もおりました。
一応の緊急連絡網を作ってはいましたが、結局何も役に立たず、一人一人の顔を見るまでは本当に心配でした。
薄暗くなった頃、近隣の独り住まいの方を訪ねて歩きました。
『大丈夫ですか?』と問いかけると『びっくりしたけど大丈夫。あたしたちは戦争や空襲を知ってるから、ちょっとの事じゃ驚かない』と頼もしいお返事でホッとしたことを思い出します。
翌日、もともと事務所の引っ越しの為に全員が出勤の予定で出て来てはくれたものの、通信機器の接続担当者と連絡が取れず、結局そのまま2階での業務がしばらく続いたのでした。
あの当時は外看板に光を入れる事はもちろん控えなければなりませんでしたし、八王子の兄の家では時々計画停電にもなっていたそうです。
この付近はそれが無かっただけでも幸せでしたが、一瞬にして東京ですらも暗い街になってしまいました。
命があっただけでも喜ばなければいけない。今抱えている不満など取るに足らないもの。
7年も経つとだんだんその有難さが薄れてきます。
もっと、もっとと不足を覚える様になります。
そんな思いあがった気持ちのまま家族を失った方々の悲しみのお話を伺うと、本当に息が詰まってきて、苦しくなり涙が出ます。
辛くて苦しいので、番組を見続けられなくなります。
番組に頼らずとも、あの日の事はしっかり覚えておこう。そう思います。
人の演出で作成されたものでやっと思い出すのではなく、ここに居ながら体験した事でも多くの事を学んだはず。
自分の耳で聞き、自分の肌で感じた様々な出来事。
混乱の中で人が取る行動は様々ですが、その事でツルんと一瞬のうちに化けの皮がはがれる場面も見てしまいました。
人はゴタゴタ、グチャグチャしている時にこそ、人間性や品格があらわになる事を学んだ日でもありました。
せっかく