4月5日(金曜日)
このところ気温が低いせいか、今年の桜は少し長持ちに感じます。
毎年この時期は、周囲を眺める余裕もなく、友人たちに『お花見は?』と聞かれても生返事しかできませんでした。
昨年の今頃は、濁流の渦に巻き込まれた様な出来事が続いていた為、花を愛でた記憶がありません。
一年を過ぎた今年、しみじみと桜並木を遠目で眺めると色々な感慨を覚えます。
ですが、そんな中感慨に浸っていられないくらい、毛穴が逆立ち、怒りに震えた出来事がありました。
怒りはとてもエネルギーを消耗します。
ですから、年々体力的にも気力的にも低迷を感じているこの頃は、簡単には怒れなくなってきているのが実態です。
年を重ねると穏やかになる傾向があるのは、そうでないと自分の命を短命にするからではないか?と想像しています
こんな一文を目にした社員をはじめ、いろいろなところで関わっている方々からは『嘘つき』と言われるかも知れません。
普段から口うるさいのは仕方がありません。
仕事をする上で必要な事が出来ていない人には、何度も同じ事を言いますし、その都度口調も強くなってきます。
会社の中でも、外でも同じです。
しかし、今週の怒りはそれとまた違うものでした。
ただ怒りの湧きどころはいつも同じです。
仕事人として取った行動が、人を傷つけ、悲しませ、諦めさせてしまう事・・・・。
その事実を知ると、もうこのお仕事をする資格がないのでは?まとめていく役割を外れた方が良いのでは無いかと思います。
その一方、一つの出来事ですべてを否定する事は出来ない・・・・と心の中で葛藤が生まれます。
頻度は減ったとは言え、この様な気持ちになると言う事は、実は社員では無くわたくし自身が油断していたのではないかと思っています。
油断し、謙虚に生きる事をどこかでサボってしまうからこそ、神様からお叱りを受けるのだと思います。
神様のお使いをお客様や社員にさせてしまう事は本当に申し訳ない事です。
それにも関わらず、ご迷惑をお掛けしたお客様からの寛容なお電話を頂戴いたしました。
そのお話ぶり、物事の理解、出来事の終結に対する潔さ・・・・。
お電話の内容の全てから沢山の事を学ばせていただく事が出来ました。
毎年々、一日々、何を学び、その学びを誰に伝え、誰の役に立つ事が出来るのか?
怒り心頭の相手は、結局は自分自身だった事に気づくのでした。