令和元年7月2日(火曜日)
先々週の金曜日に10年間関わった介護事業者連絡会の運営から退きました。
10年のうち、8年間務めた会長職を卒業し、先般の総会ではお越し頂いた皆様に感謝の気持ちをお伝えする事ができ、本当に良かったと思っています。
思えば、昨年の今頃から『卒業』を宣言し、その準備を粛々と重ねてきました。
定例会議や多種多様の会議への出席もさることながら、総会の為に準備する資料作成には相当な時間とエネルギーを費やしていました。
資料作成の根拠になる各部門の報告を受ける、会計資料の確認と会計監査・・・・。
わたくしが会長を務め始めた際に、内部でお金のトラブルがあったので、それ以来会計の帳票にはとても神経を使っていました。
それらを終えて、GW前には全ての資料を仕上げ、印刷依頼をし、会員データを整理して送付します。
来賓のご案内、ご挨拶・・・・。区長がお出ましになるのかならないのかで当日の進行が変わります。
シナリオ-1・シナリオ2を作成し、進行係と打ち合わせを重ねてきたものです。
総会当日は、夕方まで『欠席する』『委任場を今からいいですか?』と問い合わせが来ました。
6月21日・・・・。
総会を全て終了したら、気が抜けてグッタリするかと思いましたが、実に爽快な気分でした。
しかし、数か月前から、別の任意団体の立ち上げに協力して欲しいとのお声が掛かり、迷った挙句お引き受けする事となり、『江東区主任ケアマネジャー協議会』を7月1日に誕生させました。
そして昨夜は設立総会を開催いたしました。いわばお誕生日会です♪
今は準備段階でもあり、ただの任意団体ですが、来年の春までには一般社団法人として登記し活動する事を決めました。
連絡会の会長を退いたのはこの為か?と聞かれますが、全くそうではありません。
元号が変わって間もなく、『令和元年 世の為人の為』という文言を4月のカレンダーの裏に書いていました。
誰の為の事業なのか?何の為の仕事なのか?
この時代に生きて、何を貢献とするのか?
元号が変わったこの時に、改めて誰かの役に立つ存在であらねばならないと思ったのでしょうか。
結果、一つの会の代表の座を降りても、次の役割を担う事になりました.
一つの団体を立ち上げるには、強い想いが必要ですが一方想いだけではどうにもならないのが現実です。
この時期、この地域でそれが出来るのは(やろうと思うのは)そう何人もいないのです。
その中から、わざわざ何度も口説きに来て下さった意味を考えました。
そして『当てにされるうちに役に立っておこう。』そんな気持ちが沸き上がり、法人立ち上げのリーダーとなりました。その代わり『期間限定で』という約束付きです。
地域包括ケアシステムの構築に於いて、主任介護支援専門員は要の存在です。
経験を重ね、保険者に選別され、推薦を受け、講習を受けた人たちは、国から大きな役割を与えられています。
この先もっともっと活躍の場を広げていかれる事、悩みを開放し自信を持って好きな仕事に打ち込める為に、もう少しだけ自らを振るい立たせ、頑張ろうと決心したのでした。