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平和とは


『東京大空襲を忘れない・平和の集い』

8月15日(木曜日)

今日は終戦記念日。

東京をはじめ、各地でこの日には戦没者を慰霊する会が開かれ、黙とうを行います。

もう、わたくし達の世代は戦争の悲惨さを想像する事も出来なくなっています。

残された資料や、体験者から伝えて頂いた言葉からほんの少しだけ思いを寄せる事があっても、この先どうやってそれらを言い伝えていかれるか?

先週、深川江戸資料館に於いて「東京大空襲を忘れない・平和の集い」というイベントにコーラスの一員として参加して参りました。

深川はその昔、大空襲で10万人以上の命が失われたそうです。

わたくしの母は子供の頃に本所に居りました。
そして焼夷弾が降って来た時の怖さをよく話してくれていました。

小学生の私は『焼夷弾』を『醤油だん』と聞き損じていて、醤油の爆弾が落ちてくるんだと思い込んでいました。


父は若い兵隊として戦地に出向き敵兵が空から攻撃してくると、背丈以上に伸びたトウモロコシ畑に隠れは逃げ回り、弾を逃れたという話をたった一度だけしてくれた事がありました。


資料館では、その当時の写真、また生き残った人の記憶を頼りに絵や文章に書き記した資料が展示されていました。

私たちは歌を通して平和の有り難さを伝えるというコンセプトで参加させて頂いたのです。

好きな歌を自由に歌える。

死人だらけの焼け野原で、食べる事や夜露をしのぐことに精一杯だった混乱の時期には想像もつかなかった事でしょう。とても、とても贅沢なことです。


戦争とまではいかなくても、日本のあちらこちらで悲惨な出来事が毎日起こっています。


もっと言えば、会社の中の小さな社会でも知らぬ間に心痛める出来事、人を傷つける事が起きています。わざとしている訳ではないので、その事に気づいて貰うのに一苦労です。


誰かが痛いと感じる事を体験しないと、いつもの何気ない平和な毎日が当然すぎてしまうのかも知れません。

知らぬ間にとは言っても、何かが起こったら、その意味を考える事がとても大事だと思います。


生きる・死ぬという深刻な事態に向き合う事が無いと、人は何事に対しても無関心になって行くような気がいたします。

わたくし共の仕事は人様の命と生活をご支援するのが使命です。志事です。

でも、志事とは程遠く無機質な作業になってしまうと、人が持ち得ている想像力を使わなくなります。

『想像力』 この感性を育てることが、相手をおもんばかる事に繋がり、自分自身をも守れる事になるだと思っています。

終戦記念日だけでなく、何かをきっかけに『平和って?』と考える癖を持ち続けたいと思います。

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2019年08月15日 17:45に投稿されたエントリーのページです。

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