10月7日(月曜日)
先週、55歳の若さでこの世を旅立った友人。
お互いに実年齢を知らず、一年に1回顔を合わせ、何を言っても何を愚痴っても全く実害の無い関係を続けてきた友人の一人です。
2年前の暮れに合ったのが最後・・・。
その時は自分が心骨注いで築き上げた仕事を手放す事となった経緯と理不尽さを悔しそうにつぶやいていました。
その悔しそうなお顔と声が祭壇の写真の笑顔とは少しズレがあって、さぞ無念であっただろうと想像していました。
しかし、神殿式のお通夜が進み、焼香の代わりに玉串を納めると『そうか、若くしてこの世のお役を務め切ったのか‥‥』と思うようになりました。
1年に1度顔を合わせる友人たちが、まさか喪服で顔を合わせるとは夢にも思いませんでしたし、お仕事上の事情を知っていた故に、寂しいご葬儀だと悲しいなアと不遜な事を思っていましたが、それは立派なご葬儀でした。
かつての部下だった方々が泣いていらっしゃるのを見て、『良かった。ちゃんと愛されていたんだ。私たちの前に姿を現すときと同じように、真摯で優しくて、人として偉ぶらない本物の坊ちゃんだったんだ‥‥』と何だか安心しました。
仕事が大変だとか、面倒な事が続くと逃げ場を探したくなります。
でも、どんな場でもまだ役割が残されているのであれば、精一杯生きて、そのお役を果たさなければいけません。
帰りの新幹線で、そんなことをしみじみ語る事が友人とし出来る供養の一つかな?と思っていました。