1月14日(火曜日)
認知症の研究の第一人者が自ら認知症を発症し、その生活や心境の変化をカメラで追った番組を見ました。
認知症と診断され、誰かの助けを必要となった時に、家族の介護疲労を軽減させる目的で認知症対応型デイサービス(デイケア)を推奨していた先生が、いざご自身がその状況となり、自分の意志とはかけ離れた決定の場に置かれた時に『僕は孤独だ』と仰ったのです。
どんなに職員がニコニコした顔で話しかけても、楽しいであろうと思われるゲームに誘ってみたところで、本人の思いとかけ離れていると、それはただの迷惑にしか感じないと言う事にお気づきになったのです。
何の病気も同じだと思いますが、なった人にしか分からない辛さ、不便さ、憤り・・・。
自分が家族に迷惑をかけている事にも気づいていながら、自ら考案し、推奨してきたデイケアに行くことを良しとしなかったこの思いには何とも切ないものを感じます。
病気だけでなく、仕事や家庭での役割も同じだと思います。
いつも自分の立ち位置からだけ周りを見ていると、知らないうちに死角が出来ます。
相手の行動や想いにも偏った寄り添い方しかできなくなります。
一度役割を変えて相手の立ち位置に移動すると、見えてこなかったものが見えると言います。
ただ、実際に全てを体験する事が出来ないので、『その場所から何が見えるんだろう?』と想像力を育てる以外に無いと思います。
想像して『こうなのかな?』と相手と話すだけで寄り添われた感じになります。
思いやり・・・というのはこの様にシンプルなものなのかも知れません。