4月2日(木曜日)
昨日、新入社員の事で『おめでとう』という文言を使いました。
2000年に始まった介護保険制度。
20年前の昨日はまさに『措置から契約へ』というキャッチフレーズの通り介護保険給付によるサービスが開始した日でした。
日本で初めてケアマネージャーという職種が生まれその業務が正式に始まった日でもあります。
1994年に策定された新ゴールドプランを受けて、先代が10坪の調剤薬局&ミニドラッグではこの先会社が生き延びていかれないと思い、誰もが初めて体験する制度を活用すべきという決断をしたのでした。
その後、ケアマネージャーの資格取得の為に国も受講生も右往左往しながら何が何だか分からないまま、第一期生が世に送り出されたのでした。
98年の秋に学科を受講し、その合格者は翌年の春から夏にかけて実務研修を受ける事になっていました。
3人合格したうち、2人は実務研修をサッサと受け終わったのに、私には日程の連絡がありませんでした。夏を過ぎようとした頃に問い合わせをしたら、相手側のミスで私の受講の予定は全く立っておらず、席も空かないので、調整するとの返事でした。
結局、受講でき修了書を頂けたのが、2000年の3月でした。
しかし、先に受講した内容は実務に何も役に立たない内容だったのです。
保険の点数や帳票フォーマットが決まったのが年明けだったからです。
あと1か月後には制度が始まるというので、講師も受講生も必死の数日でした。
『給付管理』という国で初めての仕事もやっとそこで知らされた訳です。
単位数の計算は医療保険と異なり、単純に1点(単位)が10円ではありません。
とにかく、細かな情報を手書きし、計算機をたたきながらの実習。
その頃は介護保険の為のソフトの開発もギリギリで、初めの1~2か月は全ての帳票を手で書く為に、毎日夜中まで仕事をしていました。
気づくと措置サービスをご利用の方々に要介護認定を受けて頂く為の啓蒙、申請代行、認定後の契約等々で、半年以上休みを取っていませんでした。
今の時代ではブラック!と言われても仕方がありませんが、国を挙げての大仕事を手掛けるのであれば、それくらいは当たり前だと思っていました。
当時、自宅ではガスストーブを利用していましたが、自宅にいる時間がほとんど無いので使用量が極端に少なく、メーターを確認に来た方が、『何かあったのか?』と心配してくれました。
今、振り返ると滅茶苦茶な事もありましたが、何度も制度改正を体験し、理不尽な思いも重ねながらも頑張ってきた甲斐あって何とか20周年を迎える事が出来ました。
先代の勘ピューターは見事にヒットしました。
これから、益々試される場面があるだろうと思いますが、積み重ねてきた実績を大事にして精進していかないといけないと思います。