6月14日(月曜日)
週の初めから嫌なタイトルとなりました。
マザーテレサの言葉を借りるとすれば、愛の反対語は『無視』だそうです。
意図的に無視されればそれは差別とか、ハラスメントの部類に含まれます。
意図的では無くても、結果的にその人の人格や、健康についてその職種の人達が無関心でいる事はとても怖い事だと思います。
その職種とは、ウチの仕事の場合も同じです。
対物から対人へ・・・・と言葉が独り歩きしていますが、人を人と思わない(そう感じられる)行為がどれだけ人を傷つけ、周囲の良き習慣も腐らせる事になるのかを知って欲しいと思います。
自分都合で約束を守らないのはまるで幼い子供と同じです。
親に家族のルール、社会のルールを教えられる時に、自分の欲望しかない幼子は、その事に反発して体中のエネルギーを集約し、命がけ?と思うくらいの勢いをつけて叫びます!!
その声を聴くたびに『命張ってるな~』と思うようになり、黄色い声がうっとうしさより逞しさに感じる様になりました。
しかし、大人の自己中はいただけません。
逃げ場を作る癖がついていると、不都合が起こっても真正面から向き合う事が出来ません。
『このくらい手を抜いても大丈夫』と全く根拠のない投げやりな気持ちが湧くのも人間だからこそ。
ただ、手を抜かれた人は存在を無視されたことで複雑な思いを持ってしまうでしょう。
それは
怒りかも知れない。
悲しみかも知れない。
人間不信かも知れません。
それぞれが絡み合って恨みの行動にでる場面を度々見聞きしていますが残念な事です。
間違えやウッカリがいけないのではなく、その後処理の言動こそが人として問われるのだと思います。
『あなたを軽んじてごめんなさい』
この思いと一言があれば、人は寛容になれるものです。