12月28日(火曜日)
年末の貴重な一日、休みを取って大船に行ってきました。
大きなトランクケースに荷物を詰めて病院に出向いてからもう10年。
人工股関節の手術を受ける為に、武者修行の様な意気込みでナースステーションにたどり着いた時、「付き添いの方は?」と聞かれ「私一人です」と答えた時の看護さんの驚いた顔を今でも鮮明に思い出します。
痛みが強くなり、手術を考え始めた際に、一番の懸念が入院期間中の仕事でした。
色々調べた結果、入院は1週間ポッキリと言う手術法を知り、初診予約の電話をしたら何と一年半後との事。
その時は一旦諦めたものの、それで痛みが消えるはずもなく、寝ても覚めてもどんな時にもズキンズキンとした痛みに苛まらながら過ごして、バスのステップを上がる度に『どうしてちゃんと低床にしてくれないのか?』と心の中に毒が生まれていました。
身体の痛みはその部分だけで済まず、心も病んでいくもの、高じれば性格すらも変えてしまうのかも知れないと思いました。
そんなこんなの毎日を過ごし、気がつくと初診申し込の電話をしてから一年。
そうか、こんなふうに時間はあっという間に過ぎていくのだと思って、もう一度電話をしてみると、今度は8ヵ月後なら診察が可能だと言われたので迷わず予約をしました。
夏の終わりの初診で院長先生は、『この状態では早速手術をした方が楽になるでしょう。』と診断を伝えて下さり、年内に日程を調整する事にしました。
その後、手術に向けて会社内外の仕事の調整をつけて12月に入院を決まめたところで、あらぬ横槍が入りました。
術前の検査の為に受診した時、その日の当番医とは違う先生が私の歩行状態や年齢を見て、突然診察室に入ってきて「杖も付かずに歩ける貴女の様な人にはまだ手術は早い!」と独自の理由を捲し立てました。
ようは、年齢が若くて手術をすると生涯にもう一度入れ替えないといけなくなるかも知れない。だから手術は遅ければ遅いほどいい。あなたは後10年我慢しろ。と言う事なのです。
この先生は、私がどれだけの覚悟でこの病院を選び、手術の日程を決めたのか、何も解っていない…。と感じました。
さあ、その後は私の番です。
「この病院の院長と、副院長が手術の適応だと診断され、私の今後の仕事や人生について確固たるビジョンがあってこの時期に手術をする事に決めたんです。先生がこだわっている60歳を超えてからと言う基準はあくまでも標準的な事で、今の私には当てはまりません。この先5年.10年痛みを抱えて自分のミッションに集中できない毎日を送って過ごす事は考えられません。今車椅子になってしたい事の制限がかかるより、早く手術をして、10年間仕事に集中して、入れ替えの時期が早まったとしても、そしてその先車椅子になるのならそれはそれで受け入れます。
私には私のしなければならない事、その背景に沢山の社員たちの生活がかかっているので、この決定を変更するつもりはありません!!!」とお伝えしました。
「それならイイよ‥‥」と小声で呟きながら、素敵なエルメスのピカピカの靴をお履きになった先生は診察室から去っていきました。
結果は術後10周年が物語っています。
今日の検査では、クッション部分のへたりも無く、きちんと収まっているので、全く心配はなく、大事に使えば後10年は大丈夫!との事。
様々な病気の治療法は先生の数だけ考えがあるのだと思います。
このエピソードも10年前の事ですから、今はもっと患者本位の説明と、自己決定が尊重がなされている事を心から願います。
手術から4ヶ月後。
薬局の支店を開業することを決め、7月にヒロ薬局さくらべーるを誕生させました。
その翌年には念願のリハビリ型デイサービス、すまーとを開設。
どちらも気力、体力、資金力がなければ実現しなかった事です。
自分の身体の痛みに意識が向いている毎日では決して成し遂げられなかったと思います。
その後、福祉用具展示室兼多目的スペースとしてすまいる♡くらぶを開き、地域のお客様とのふれあいイベントを重ねてきました。
そして、そして、今年は薬局本店の移転。
いつも本気で一生懸命だったと自負していますが、今回ばかりは大仕事を成し遂げたと、その後しばし脱力気味でした。
それもこれも10年前の決断が今日を作り出しています。
そして、早めの夕食で自分にお祝い🎊
嬉しい時も悲しい時もやっぱり好物のお寿司🍣
初めて飲む日本酒の『作』・・・なかなか美味しかったです🍶
元気でいられる事に感謝すると共に、元気でいられる為に出来る事をこれからも続けていきます☆彡