1月26日(水曜日)
今朝はお客様宅への訪問日。
1月も後半ですが、今年初めてお顔を拝見し、ご様子を伺います。
『とにかく無事に年越し出来て良かったですね』とお声を掛けると、『どうにかね』と仰います。
90歳の一人暮らしが可能なのも、離れているご家族の献身的な支えがあってこそ。
毎月の訪問時にウチで作ったカレンダーにデイサービスや看護師さんの予定を書き込むのが常になっており、その中に私の訪問の予定も書き込みます。
今まではそれだけでしたが、今日は何やら、様子が違います。
手元を見ると、小さなメモではなく、又いつものメモ帳でも無く、黒い表紙の『手帳』に2月の私の訪問日をメモなさっていました。
『カッコイイ手帳ですね』とお伝えすると『随分前に貰ったもの』と仰います。
たしかに、メモはカレンダーのページではなく白い部分に書き留めておられました。
一人暮らしの責任を請け負うとは、この様な姿なのかしら?とハッとさせられました。
世の中には、二通り。
メモを取る人・取らない人
ありがとうを言える人・言えない人
嘘をつく人・つかれる人
際限なく二極化現象はありますが、90歳でメモをとる側でいる人、どんなに注意されてもメモを習慣に出来ない人・・・・。
その違いは何かと考えていましたが、簡単に言うと深刻さなのかも知れません。
家族や関係者に迷惑を掛けない様に生きる事、年を重ねて『忘れる』ことにより自分が落ち込まないで済むように一つ一つの約束を守る事に真剣なのだと思います。
若いうちは、今日がダメなら明日があるという、ある意味気楽な考えを持ちがちです。
その昔、やはり90代の方とお話していた時に『あなたはそう言うけど、90歳にならないと分からない事があるものよ』と諭された事がありました。
人様の人生に関わらせて頂くお仕事をしていながら、実はその姿、何気ない一言、生き様、お別れの様子を間近に見させて頂きながら沢山の事を学ばせて頂いています。
私はどちら側の人間でありたいか?
常にその解を念頭に置きながら、一瞬・一瞬の選択を重ねていこうと思います。